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サン・ヴィターレを出た頃からまた雲行きが怪しくなっており、雨が降り出す前にと次のモザイクを目指し急ぎ足で向かった。ただ、数分ほどすると小雨が降り出し、目的地の Battistero Neoniano ネオニアーノ礼拝堂にで辿り着く辺りで、ついに大雨が降り出した。ラヴェナ最古と言われるこの建物に入ると、傘を持っていない観光客が雨宿りを兼ねており、たくさんの人がいた。

この建物も八角形だが、八角形は週七日間、プラス、キリスト復活 つまり 永遠の命 で八角形なのらしい。

 

5世紀半ばに建てられたのこの小さな洗礼堂 Battistero Neoniano ネオニアーノは、Neon という司教の名前から付けられた礼拝堂で、内装はその司教によって考えられ作られたらしい。

円天井を見上げると、キリストの洗礼とその周りを取り囲む十二使徒のモザイク。

ここのモザイクを見たあとに、Battistero degli Ariani アリアーニという礼拝堂のモザイクも見に行ったが、ここのものと極似。ただ、こちらのものは、濃い紺色が背景となっていた。

 
そしてその中心には、ヨルダン川の水に腰まで浸かり、洗礼者ヨハネから洗礼を受けるキリストの姿を描いたモザイク。

雨もあがり、ネオニアーノ礼拝堂から数分歩き、あの偉大な詩人、ダンテの墓を訪れた。そう、ダンテは 1265年フィレンツェ生まれなのだが、余生はここラヴェナで暮らし、あの有名な La Divina Commedia 神曲(神聖喜劇)はこの町で作られたのである。

これがダンテの廟。 イタリア文学最大の詩人の廟にしては小さい感じがした。

 
廟の中に入ると、目の前にすぐこの大理石のレリーフ。机で読書するダンテ、1321年にここで亡くなった。 廟のすぐ隣にはダンテ博物館の中庭が見え、そこにポツンと立つ若い頃のダンテ像。
 

廟の背後には鐘楼があり、ダンテに敬意を払う鐘が毎晩鳴らされるらしい。夜までここにいてどのような鐘音か聞いてみたかった。

鐘楼の下は蔦で覆われ、地面が盛り上がった部分があった。そしてその中にこのプラークを発見。

1944323日から19451219日まで、ダンテの遺骨はこの塚の下で、安全に眠っていました」

と。つまり、 第二次世界大戦の戦禍を逃れるために、この塚の下にダンテの遺骨を隠しておいたのだ。防空壕で守らたダンテの遺骨。この偉大な詩人が、イタリアにとってどれほどの存在なのかがここからもわかった。

 
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